別館 魑魅魍魎

「有頂天音吉(うちょうてんのんきち)」まとめその5

「有頂天音吉」


こんな夢を見たにょん。

外をブラブラしていると、突然大雨が降ってきたにょん。
それで大急ぎで手頃な軒下を見つけて雨宿りをしたにょん。
特に約束もないから、ここで呑気に雨が上がるのを待とうと思ったけれども、
稲光がピカッと世界を照らして、ちょっとすると雷さんの太鼓の音がジジジジドーンと
胃臓の底まで響いてくるにょん。



雨はしばらく止みそうにもないにょん。これは困ったにょんと途方に暮れていると、
向こうから傘を差したおそらく学校帰りのセーラー服姿の女学生がツカツカとこちらにやって
来て、何故か傘を畳んでのんの横に立ったにょん。ぶっきらぼうに顔を覗き込むのも失礼だと
思って、不自然に空模様なぞを確かめる振りをしていたら、ツンツンツンツンとその女学生が
右の人差し指でのんを突っついてきたにょん。
で、予想外の出来事に驚いて、彼女の顔を見たにょん。
女学生は口角をニッと上げて、のんに小僧のように悪戯っぽく微笑んでくるにょん。
すぐにそれが誰か気づいたにょん。


「…佐吉…かにょん?」
「"佐吉"はもうやめたの。今はただの"紗季"だよ」
「どういう事だにょん」
「のんさんと相撲を取ったでしょ。その時に分かったんだ。紗季はやっぱり男にはなれっこない。
どれだけ頑張って"男の佐吉"の振りをしたって、親友ののんさんでさえ"女の紗季"を感じてしまうんじゃあ、この先到底それを押し通す事は出来っこないんだって」


二人で相撲を取って、その時に"のんのにょんがニョキニョキして"以来、佐吉はのんの前に姿を見せなくなってしまっていたにょん。それが何故だったのか漸く合点がいったにょん。
「だからね、"佐吉"はもう卒業するの。これからは"普通の女の子"になろうと決めたんだ。…そう言えば、あの日もにわか雨に降られたんだよねえー」
佐吉…、いや紗季は何か吹っ切れたような、まるでずっと背負い続けていた重い荷物をやっと降ろせたといったようなスッキリとした面持ちでニコニコと話し続けているにょん。
けれども、あの"佐吉"にはもう会えないのかと思ったら急に寂しさがこみ上げてきて、紗季の言葉が全然耳に入ってこないにょん。


「ねえ、のんさん聞いてるの?」
「ああ、ちゃんと聞いてるにょん」
「嘘吐き!」
紗季は突然、のんの頬を平手で強く打ってきたにょん。
その時、また稲光がパッと光って世界の全てを真白に包み込んだにょん。
一面真白に染まった世界は紗季はおろか、のん自身の姿すら白く塗り潰してしまいー。



…ガタンゴトンガタンゴトン…ガタンゴトンガタンゴトン…
と、何処か遠くの方から、線路を走る汽車の音が聞こえてきて、目の前がサアッと明るくなったにょん。ふと辺りを見回すと、のん自身が汽車の座席に腰掛けて揺られているにょん。
ああ夢だったのかにょんと、寝起きで焦点の合わない目をゴシゴシとこすると、のんの隣の
窓際の席にお憂さん、目の前にのんの知ってるいつもの佐吉、そしてその隣に彩千代さんが
座っているのが見えてきたにょん。



「せっかく佐吉っつぁん念願の"銀河鉄道の旅"が実現したっていうのに、こんな所でも居眠りとは全く呆れるよ」
と、お憂さん。
「音吉さん、窓の外を見て!今汽車は"天の川"を渡っているんさー!」
と、彩千代さん。
佐吉は、
「この世界の何処かに"ハッピー"という名前の白いオウムがいるそうなのれす。そいつを捕まえた人達はみんな人間らしい幸福な生活を手に入れる事が出来るそうなのれす!」
なあんて言って張り切っているにょん。



不思議な事だけど、それでのんもなるほどそうかとスンナリこの状況を受け容れる事が出来て、
急に楽しくなってきたにょん。
四人は向かいあって、もう何処までも何時までも、この仲間で旅を続けるつもりでいるみたいだったにょん。
「佐吉、『白いオウムの言い伝え』なんてどうでもイイにょん。のんはこんなに素敵な仲間達に
囲まれて、今とっても幸せな気分だにょん」
汽車は何処までも何時までも、遥か銀河の果てを目指しながら走り続けていくようだったにょん。
まさに、その時ののんの気持ちこそ「有頂天」と呼ぶのにふさわしいものだったと思うにょん。
だけどー。



「次は『雲間の吊り橋』ー、『雲間の吊り橋』ー」
だけど、やっぱり鉄道は鉄道なのだから、乗客の乗り降りのために駅に停まるのは仕方がないにょん。
停車した汽車の中から、のんは窓の外を見たにょん。ここは正確には『雲間の吊り橋』の端の部分だったにょん。
『雲間の吊り橋』は七色の半円形の橋で、それはつまり「虹」の事だったみたいだにょん。
駅の周りは白銀の雲が一面に広がっていて、まるで全体がタンポポの綿毛で覆い尽されている草原のように見えたにょん。




外を眺めつつ高揚する気持ちを抑えきれずにのんは言ったにょん。
「四人でこのまま旅を続けるにょん!そう、何処までも何時までもみんなで一緒にー」
パッと振り向いて目の前を見ると、佐吉の姿だけが見当たらないにょん。
慌てて辺りを見回すと、佐吉が今にも汽車の外へと飛び出そうとしているのが見えたにょん。
佐吉と入れ違いで、今まで見たこともないような珊瑚色の珍しい制服を着た五人の若い娘達が
乗り込んできたにょん。五人の娘達はこの汽車に乗れる事自体が本当に嬉しそうに、
もうここにある何もかも全てが新鮮に目に飛び込んでくるのが楽しくてしょうがないといった
感じでキャッキャッとはしゃいでいるにょん。



「のんさーん!」
窓の外から佐吉が大声を張り上げて手を一生懸命振っているのが見えたにょん。
「今ねー、ここに確かに白いオウムがいたのれすー!あれがきっと"ハッピー"なのれすー!
でもねー、見失っちまったみたいなのれすー!ああー、畜生ー!こんなに周りが真白じゃあ、
白いオウムが何処に行っちゃったのか、全然分かんないじゃないか!何処に行ったんだよう、
もうー!何処だ何処だー!」
佐吉は雲の草原をあちらこちら行ったり来たりで必死で走り回っていたにょん。
「佐吉!もう諦めるにょん!早く帰って来ないと汽車が発車してしまうにょん!」
「何呑気な事言ってるんれすか!"ハッピー"を捕まえてみんなで幸せに暮らすのれす!」
佐吉はのんの言う事なんかお構いなしでオウム探しに夢中になってしまっているにょん。
その時ー。


チリリリリリリリリーン チリリリリリリリリーン チリリリリリリリリーン
佐吉の事なんかお構いなしに発車のベルが駅中に鳴り響いたにょん。
「いたのれす!あっちにいたのれす!」
現実に居るのか居ないのかすら分からない白いオウムを捕まえようと、佐吉は汽車からどんどん
遠ざかっていくにょん。
「佐吉ー、やめるにょん!のん達は今もう十分幸せだにょん!だから、白いオウムを探すの
なんかやめるにょん 佐吉ー!」
のんの必死の叫びも大きく鳴り響くベルの音に掻き消されてしまうにょん。
のんはどうしたらいいか分からなくなって、ただ瞳から涙がポロポロ流れ落ちるばかりで、
迷子になった子供みたいにワーワー泣き出してしまったにょん。側にいたお憂さんも彩千代さんも、のんの取り乱し様に唯々アタフタと狼狽えるばかりだったにょん。
汽車のドアは一斉に閉まり、フォオオオオオオン!と大きな汽笛が鳴って、汽車の車輪はゆっくりとしかし確実に回り始めてしまうにょん。
佐吉はそれでもこちらを振り向こうとすらしないにょん。
次第に加速していく汽車の上、のんはどんどん小さくなっていく佐吉の名前をもう一度叫ぼうと
するにょん。けれども、ひと泣きしたせいで喉が詰まって思うように声が出ないにょん。
自分の無力さに腹が立って、走る汽車の中でまた人目も気にせずワーワーと泣き続けるにょん。
止めどなく流れる涙のせいで世界の全てがボンヤリと霞み始めー。
それで―。




「…それで夢から覚めたにょん」
新品の真綿のように柔らかで優しい匂いのするお憂の膝枕を借りて、彼女に耳掻きをして貰いながら、音吉はこの悲しい夢物語をお憂に語り聞かせていた。
「へえー。何だかとても切ない夢を見たんだねえ。そう言えば佐吉っつぁん、近頃とんと顔を見せなくなったじゃないか。あの子元気でやっているのかしら」
「まあ、あいつも若いのにいろいろ抱え込んで疲れていたのかもしれないにょん」
「ああそうか…。そうかもしれないねえ…。今度さ、のんさんの方から誘っておやりよ」
「そのつもりだにょん」



すると、音吉の頬にポタポタと垂れてくるものがあった。
「にょん?雨漏りかにょん?」
音吉がお憂の顔を見ると、彼女、まるで平気だった声の調子とは裏腹に目を真っ赤にしている。
実は音吉の夢物語を聞かされて感極まっていたようなのだ。
本当は涙脆いのに、いっその事、我慢せずにオイオイ声に出して泣いてしまえばいいのに、
こういう時に口を真一文字にキリッと結んで必死で涙を堪えるのがこの人の昔からの癖なのである。
彼女の生まれながらの負けん気の強さがそれを決して許そうとはしないのだ。



この時、ふと音吉は考えた。
ところで、実際自分の知らない所でお憂はどれだけの涙を流しているのだろうか。
甘え放題、我儘放題の音吉だ。お憂を泣かせる心当たりは山ほどあった。
例えば、自分の寝顔を見つめながらお憂が黙って涙を落としている夜だって、寝顔を見ている
うちに頭にきて思わず平手打ちしてしまう夜だって、これまで幾度となくあったのかもしれない。
そうやって思いを巡らせてみると、音吉は自分が何故"大雨の夢"を見たのか分かったような気がした。夢の中の雨の感触が妙に本物めいていたり、夢の中の紗季の平手打ちが夢のわりにやけに痛かったりしたのはどうしてだったのかの訳も含めて。
で、急に胸が締めつけられる様に痛くなった。
音吉は、もうこれ以上お憂を傷つけるような真似をするのは絶対にやめるにょんと心に誓った。
それに、あんなに悲しい夢を見るのももう沢山だと心底思った。



どうやら、さっきまで降り続いていた雨の音が止まったようだ。
雨雲が消えたせいか、部屋の中まで眩い程の日の光が射し込んできた。
辺りでは今日こそ最後とばかりに蝉達が一斉に喧しく鳴きだした。

(「そうだ、これからお憂と二人でデートをするにょん。今日は綺麗な虹が見られるかもしれないにょん。そしたらお憂が昔聞いてきた『虹は真下から見ても七色なのか?』という、この人の
子供の頃からの疑問がやっと解けるかもしれないにょん」)
と、音吉はお気に入りの鼻歌をニョンニョンと調子良く口ずさみ始めた。

今日はここまで。
そして、サヨナラ、サキチィー。
また逢う日まで―




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