カニョン探偵事務所/TRANSQUID その9

(「気持ちイイのれす!気持ちイイのれす!」)
伸びた十指を巧みに操りながら サキは夜空を飛んでいた
この身体を手に入れてから 手放したものも沢山あった
しかし 別の快楽がそこにはあった
(「サキは新しい御主人様にイイコ イイコして貰えれば もうそれでいいのれす!」)
コドモ・ノ・ユウカが「お前に店の全てを任せる」と言ってくれたのは
本当に嬉しかった
会員制高級クラブ「エッグ・ダンサーズ」の店長就任の喜びを真っ先に伝えたくて…
いや 真っ先に自慢したくて カニョン探偵事務所のドアを初めてノックした
…それが この結果だ!
あいつの寝坊グセのせいで…あいつの遅い出勤を ソファに座り 大人しく待っていたら
いきなり背後から縛り上げられ 目隠しをされ 妙なものを無理矢理飲まされた
それから 自分は誰かのオモチャになった 自分の意思とはまるで関係のない"指図"が
自分をコントロールした まるでコンピューターゲームのキャラクターにでも
なってしまった気分だ
そして 多分 今だって そうなのだ
思考を停止し 誰かの指示に身を委ね "希望"なんていう当てにならないものを
一切捨ててしまう事がこんなに楽な事だとは!
サキは 今の御主人様が導いてくれた「新しい世界」の住民になる決心をした

前の主人 コドモ・ノ・ユウカには何の不満もなかったが 彼は堅物過ぎて 毎日が平和過ぎた
今は次に何が起こるのか 全く予想も出来ない日常に楽しさすら覚えている
もう太陽の光は何日も浴びていない 闇の中を黒い肉体で散歩するのが 最近の日課だ
すぐ側にはいなくても どこかで御主人様が自分を見ていてくれるのは感じていた
御主人様の名前は知らない けれど その黒目がちな大きな瞳は 産まれたばかりの
赤ん坊のように澄んでいる…無邪気なのだ 彼女が頭を撫でていてくれさえすれば
「もうどうなっても良い」と感じるくらい サキは彼女の可愛い忠実なペットになった

彼女は自分の事を「ちーず」と呼んだ
サキは自分の新しい名前を気に入っていた そして 自分は「ちーず」なのだと
自分自身に言い聞かせた
「今日はちょっとメンドーなお使いだよ ちーずに出来るかなあー?」
(「御主人様の笑顔のためなら何でもしよう」)と ちーずは思った
いつか一度訪れた事のある 真っ白な壁の建物に近づいた
少し待つと 向こうから見覚えのあるコートを着た人物がこっちに向かってくる
(「まずは あいつを眠らせてやればいいんだな…」)
建物の裏口からドアを開けようとする その人物の背後に音もなく近づき
彼の着ているコートに手に掛けると 振り向いた人物から やはり聞き覚えのある
ちょっと鼻にかかった声が響いた
「相変わらずだにょん サキ・ナノレス! その"やり過ぎちゃった変顔"を今すぐやめるにょん!!」